インド⑨アーグラ
2009年9月14日は、車をチャーターして、世界遺産が多くあるアーグラ方面へ行きました。
アーグラまでは4〜5時間かかるので、日の出とともにスタートです。
途中で見つけた、水牛とおじさん。
午前中に第一の目的地ファテープル・シークリー (1986年、文化遺産)に到着しました。
ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri)
ウッタル・プラデーシュ州アーグラ約40km西に位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって建設された都市です。「ファテープル・シークリー」とは勝利の都シークリーという意味で、勝利の都と名づけられたのは、当時、アクバルがグジャラート地方での戦いに勝利したためです。アクバルは跡継ぎに恵まれなかったが、この地に住むイスラム教の聖者サリーム・チシュティーを訪ね、世継ぎの問題について相談したところ、息子を授かるだろうとの予言を授けられました。そのおかげで王子ジャハーンギールが誕生し、記念としてここに新たな都を造り、アーグラから遷都しました。しかし、慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間(1574年~1588年)しか使用されず廃墟となった都市です。
まずは、モスク地区から見ました。ジャーマー・マスジド(Jama Masjid)は、デリーに80年後に建設される金曜モスクとほぼ等しい面積を持っています。
続いて、宮廷地区です。
パーンチ・マハルやディーワーネ・ハースなどの砂岩によって建設されたすばらしい建物が並びます。土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされた見事な都市遺跡です。
細かなところまで、すべてが砂岩で出来た見事な装飾です。
再び車に乗り込み、1時間半ほどかけてアーグラに向かいます。
アーグラ(Agra)
デリーから南に約180キロ、ウッタル・プラデーシュ州最大の都市で、人口は約131万6千人、アグラとも表記します。世界遺産に登録されているタージ・マハル廟、アーグラ城塞があることで知られ、ガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置する都市で、古代より交通の要所として発展しました。周辺地域における政治、経済、文化の中心で、多くの観光客が訪れます。
昼食後、本日のメインである、タージ・マハル (1983年、文化遺産)に到着です!!
タージ・マハル(Taj Mahal)
インド=イスラーム文化の代表的建築であり、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、死去した愛妃ムムターズ・マハル(1630年)のため建設した総大理石の墓廟です。1632年着工、1653年竣工。建材はインド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方産で、その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピスラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだといいます。全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれ、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造された「世界一ゴージャスな建物」とも云われます。
砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)をくぐると タージ・マハルが見えました!! 墓廟(マウソレウム)は幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインです。 墓廟の横の床を修理中でした。 4本ある高さ42mの尖塔(ミナレット)
様々な宝石・宝玉を使った象嵌です。すごい!!の一言。 大気汚染や酸性雨などで、白大理石の痛んでいる部分もありましたが、タージ・マハル全体の美しさや存在感はすばらしいものでした!墓廟の北側で、ヤムナー川を望みながらたたずむ瞬間は最高でした。
最後に、タージ・マハルのすぐそばにあるアーグラ城塞(1983年、文化遺産)です。
アーグラ城塞(Agra Fort)
アーグラにあるムガル帝国時代の城塞で、赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」(ラール・キラー)の名があるが、デリーの帝国時代の城塞も同じく赤い城と呼ばれています。デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルによって1565年に着工され1573年に完成し、その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となりました。アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)に幽閉してデリーに移りました。外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」ですが、城内の宮殿には白大理石も多用されています。 門をくぐり、入城します。 シャー・ジャハーンが幽閉された「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)(写真下) 亡き妻の眠るタージ・マハル眺めながら、シャー・ジャハーンはなにを思ったか・・・ ムサンマン・ブルジュの内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石で出来ています。 夕焼けにアーグラ城塞が映え、美しい景色の中、シャー・ジャハーンのようにタージ・マハルを眺めることは、まさに本日のハイライトに相応しい場面でした。
デリーへの帰りのハイウエイ?で、車が横転していました。みんなめちゃくちゃな運転をするインドですが、なぜか事故はあまり見かけません。
行きは朝日を見ながらで、帰りは夕日を見ながらになりました。デリーに着いたのは、夜9時半でした。長い車での移動もあり、疲労感もありましたが、本当に充実した1日でした。
午前中に第一の目的地ファテープル・シークリー (1986年、文化遺産)に到着しました。
ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri)
ウッタル・プラデーシュ州アーグラ約40km西に位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって建設された都市です。「ファテープル・シークリー」とは勝利の都シークリーという意味で、勝利の都と名づけられたのは、当時、アクバルがグジャラート地方での戦いに勝利したためです。アクバルは跡継ぎに恵まれなかったが、この地に住むイスラム教の聖者サリーム・チシュティーを訪ね、世継ぎの問題について相談したところ、息子を授かるだろうとの予言を授けられました。そのおかげで王子ジャハーンギールが誕生し、記念としてここに新たな都を造り、アーグラから遷都しました。しかし、慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間(1574年~1588年)しか使用されず廃墟となった都市です。
まずは、モスク地区から見ました。ジャーマー・マスジド(Jama Masjid)は、デリーに80年後に建設される金曜モスクとほぼ等しい面積を持っています。
パーンチ・マハルやディーワーネ・ハースなどの砂岩によって建設されたすばらしい建物が並びます。土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされた見事な都市遺跡です。
再び車に乗り込み、1時間半ほどかけてアーグラに向かいます。
デリーから南に約180キロ、ウッタル・プラデーシュ州最大の都市で、人口は約131万6千人、アグラとも表記します。世界遺産に登録されているタージ・マハル廟、アーグラ城塞があることで知られ、ガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置する都市で、古代より交通の要所として発展しました。周辺地域における政治、経済、文化の中心で、多くの観光客が訪れます。
昼食後、本日のメインである、タージ・マハル (1983年、文化遺産)に到着です!!
タージ・マハル(Taj Mahal)
インド=イスラーム文化の代表的建築であり、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、死去した愛妃ムムターズ・マハル(1630年)のため建設した総大理石の墓廟です。1632年着工、1653年竣工。建材はインド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方産で、その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピスラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだといいます。全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれ、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造された「世界一ゴージャスな建物」とも云われます。
最後に、タージ・マハルのすぐそばにあるアーグラ城塞(1983年、文化遺産)です。
アーグラにあるムガル帝国時代の城塞で、赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」(ラール・キラー)の名があるが、デリーの帝国時代の城塞も同じく赤い城と呼ばれています。デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルによって1565年に着工され1573年に完成し、その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となりました。アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)に幽閉してデリーに移りました。外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」ですが、城内の宮殿には白大理石も多用されています。
デリーへの帰りのハイウエイ?で、車が横転していました。みんなめちゃくちゃな運転をするインドですが、なぜか事故はあまり見かけません。
by hide-nyoro
| 2009-09-14 21:41
| 旅 a journey
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